コンサルティング2023/01/27

日本の偉大なコンサルタントは誰か?

論点

コンサルタントと言われてもその内容は千差万別である。日本における偉大なコンサルタントの一人に二宮尊徳が挙げられる。確固たる永年と信念を持ち、身分制が厳しく、荒廃する江戸時代後期に物質的・精神的に荒廃した村を次々と復興させていった。その特徴は、報徳思想に代表され、まずは人心を豊かにしていった。その理念は、同じ混迷の時代である現代にも最も基本とすべきことと考えられる。

コンサルタントとは?

数あるサイトの中から弊社のサイトを訪問して頂きまして誠にありがとうございます。 弊社では、コンサルティングを軸に、事業を展開しております。今回は、日本における偉大な歴史上のコンサルタントについて述べたいと思います。

近年は、世界的にもコンサルタントの需要が高まっていますが、コンサルタント一言で言ってもその種類は多岐にわたります。

経営戦略などのコンサルタントと言えばよく引き合いに出されるのが、外資系コンサルティングファームなどが有名で、コンサルタントの王様などとも言われたりします。身近なところで言えば、弁護士や税理士などの士業もコンサルタントです。 そのような高学歴、高収入のエリートが想像されるコンサルタントですが、誰でも名乗ることができます。特定の士業など国家資格など試験をパスして初めて名乗れる独占的名称もありますが、基本的には明日から何々コンサルタントということは誰でもできます。そのためコンサルタントと言っても、スキルも経験も人の数ほどあります。昨今で言えば、副業で自分の経験を活かしてコンサルタントから始める方も多くいらっしゃいます。

コンサルタントは、特定の分野の専門性が求められるため、特定の事業経験を活かしてコンサルタントとなる例も多く見られます。

日本の偉大なコンサルタントは誰か?

そこで私たちはこの国において、私たちが、過去も含めた著名な優れたコンサルタントは誰かということを考えてみました。それは「二宮尊徳翁」という結論に至りました。

二宮尊徳翁、二宮金次郎とういう名前が知られているかもしれません、日本人であればほとんど誰もが知る人物だと思います。公立学校によくある薪を背負って歩きながら勉強するあの銅像です。数年前、歩きスマホを助長すると座る形に変えた学校が増えたなどとニュースにもなっていましたが、日本人の勤勉性を象徴する人物として、戦前から設置されてきたといいます。

苦学し、勤勉にて立身出世の象徴。それもありますが、本当のところはほとんど知られていないのではないでしょうか。

二宮尊徳翁の生い立ち

二宮尊徳翁は偉大な思想家であり、「報徳思想」をもって後世の数々の有名な事業家や政治家などに影響を与えました。有名なところで言えば、次の1万円札の肖像となる日本が誇る事業家にして福祉事業家でもあった渋沢栄一翁にも多大な影響を与えていると言われています。

報徳思想とは簡単に言えば、徳をもって仕事にあたるということです。簡単に言えば、正直、誠実などの道徳性や公共への奉仕など利他の心をもって何事にも対応するということです。簡単なことではありません。

二宮尊徳はどのような人物だったのでしょうか。 19世紀、江戸時代の後期、2百年の繁栄を謳歌していた江戸幕府は疲弊し、生活の基盤である農業は荒廃していたいいます。人々は贅沢と怠惰に陥り、散財し、執拗に取り立てられる納税に対し、まじめに働くことが馬鹿らしくなり、多くの人はごまかしながら生活を続けていたといいます。

尊徳翁は、若くして父をなくしたため、叔父の家に引き取られ奉公していました。勉学への意欲はありましたが、勉学より奉公を優先する叔父の考えもあり、休み時間も勉強することさえままならず、それでも荷物を持って運ぶ時間などのスキマ時間を使い勉強したといいます。 そして成長した後、洪水の後にできた沼地を開墾し、自らの食い扶持を確保し、独立することができました。

そのような経験から忍耐と信念と勤勉を持って荒地を豊かな土壌へとかえる事業を次々と成功させて著名なな事業家へと成長しました。

荒廃した地域と人心を豊かにする

それを知った小田原藩主は、荒れた村の再興を尊徳翁に依頼します。本来は失われた自分の家の再興を夢に描いていたため、断っていましたが、懇求され続け断れなくなった尊徳翁は、その夢を諦め、10年の約束で全身全霊をその難しい公共事業に費やすことを決意しました。「自分の家を投げ出して、千軒の家を救うことができる」と先祖の墓の前で決意したといいます。

この荒廃した村の再興はとてつもなく難しいものだったといいます。なぜなら人心もまた荒廃していたからです。世を諦め、無気力な村民は、改革の当事者だからです。そのため権謀術数は用いず、ただ魂のみ至誠であり続け、一筋に改革に取り組んだといいます。 質素な食事と衣服、睡眠時間を削り、誰よりも早く畑に出て最後まで残り、村人の困難を自ら共有しました。部下への評価は、能力ではなく高い動機により、その動機の誠実さで判断したといいます。

長い間誰からも評価されることなかった、しかし誰も従事したくない、しかし裏方として多くの人の支えとなるきつい仕事をまじめに続ける人物を高く評価し、報酬的も報いました。

尊徳翁のやり方に反対する者や、それでも怠ける者も少なくありませんでしたが、誠意と正直さを中心とした仁術によって解消していきました。そして10年後最も貧しかったこの村は、最も豊かな地域へと変貌していました。大飢饉が地域を襲った時も、餓死者はひとりも出なかったといいます。そして助け合いの精神が生まれ、備蓄をして危機に備え、荒廃していた人心も豊かなものとなっていました。

その名声を聞きつけた多くの藩主から、尊徳翁は多くの支援依頼を受けると同時に、個人に対してもその悩みの助言を行い、数々の問題を解決し、豊かな土地を生み出していきました。

支援者としての覚悟

一つ有名なエピソードがあります。村人の信頼を失っていた名主が、その信頼を取り戻す助言を尊徳翁に求めました。尊徳翁は「自分可愛さの利己心が強すぎる、そのような人間には誰もついてこない。改善するには自分の全財産と自分自身を村のために捧げることが唯一の解決策である」 このとんでもない助言に名主は数日考えさせてほしいとその場を後にしました。

その名主は数日後考えた挙句、犠牲が大きすぎて決断できないと答えたところ。尊徳翁は「自分の家族が植えるのを心配しているのか。それなら心配はいらない。相談役の私が自分の役目を果たさないと思っているのか」と答えました。そして名主は尊徳翁のその本気の思いを知り、覚悟を決めました。 物資が不足している間は約束通り尊徳翁が自分の蓄えから支援し、まもなく信頼を取り戻し、全村こぞって名主を支援するようになり、数年のうちに以前にも増して裕福になったとのことです。

このほか多くのエピソードはありますが、この話だけでも並々ならぬ覚悟と信念が感じられます。尊徳翁もすごいですが、決断した名主の本気と覚悟も伝わってきます。そしてその覚悟に報いる村民もまた本気だったのだろうと思います。

いまだ多くの問題が解決することができない現代において、より死が近く、生きることさえ厳しい時代にその信念と実行力で大きな課題を解決する。物質的な不足の中に豊かな精神性を感じられる。 当時と現代では簡単に比較はできませんが、テクノロジーや物質よりも、そのような精神こそが難しい問題を解決できる大きな力なのかもしれないと考えさせられます。

混迷の時代のコンサルタントの理想像

尊徳翁は、自分を取り巻く自然や宇宙の法則を感じ、それを信念としていたと言われています。 「自然はその法に従う者に報いる。天地は絶えず活動し、万物の成長発展の流れは止むことがない」 この解釈はいろいろあるかもしれませんが、誠実にひたむきな努力を続け、成長への努力を止めなければ、最終的には報われるというようなことではないでしょうか。

当時は混迷した幕末の世で、現代とも重なるところがあります。身分制厳しい時代、農民でありながら、武士の尊敬を集めたといいます。そして尊厳を保っていたといいます。正しいことや間違っていることは物おじせず進言し、多くの人の幸せのために自らを捧げた。そして知識や理念に偏ることなく、素晴らしい実績を残し続けた。その姿はコンサルティングの理想像となるものと感じられます。

混迷の時代、偉大な歴史上の人物から学べることがあります。