社員の潜在能力を最大化する
論点
世界経済は減速の傾向が予測されている。マズローの欲求5段階説では、第6の「超越的な自己実現の欲求」に今の時代注目が集まっている。自己実現から社会的な課題解決や貢献活動が若い世代を中心に活性化している。有能な人材は、その仕事の意義を見つめ、自分の力をそのようなことに活用したいと考えている。仕事の意義や理念が共感され、共有され、会社が正しく貢献に報い、一致団結する時、社員の潜在能力は最大化される。
経済停滞と雇用
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今年も大きな波乱に満ちた年になりそうな予感ですが、世界経済の混乱は、企業に影響を与え、私たちの日々の生活にますます直結してきています。 コロナ禍を機に快進撃を続け、その後も勢いを維持するとみられていたGAFAがその足を止め大量解雇に踏み切っていることは、確実な成長や急成長はもはや幻影で変化のスピードが速い世界を象徴しているかのようです。
企業の調整弁となって、数万の人間が離職を余儀なくされる。転職が当たり前の社会では、それほどの珍しいことではなく、社員も織り込み済みとは思いますが、一人一人の身になってみれば、もう会社に来なくていいと言われることは、多かれ少なかれ虚しさを感じる事柄であることは間違いないと思います。
このような厳しくもある意味虚しさを感じざるを得ない世界で働く我々は、何を動機に働くことになるのでしょうか。その代表的な説明として用いられるが、マズローの欲求5段階説です
マズローの欲求5段階説
もはや組織人材論における労働に関する動機おいてスタンダードとして用いられる欲求5段階説ですが、批判はあるものの、わかりやすく、多くの人に当てはまるものとして受けいられています。 ここでは簡単な説明とさせていただきますが、会社を例として働く動機として5つの段階があり、下からそれが満たされる毎に、上の段階へと欲求が向かっていくというものです。
下の4つは欠乏欲求といい、これからが満たされることで初めて成長欲求という自己実現欲求に向かうことができるというものです。 そして生理的欲求と安全の欲求は物質的欲求、それより上は精神的欲求と呼ばれます。 仕事に置き換えて言えば、安全でなく、待遇も悪い職場では、承認されることや自己実現よりは自分の身を守ることに専念し、そんな余裕はないということでしょうか。
そして、最終的には自己の目的の実現に人は働き、自らの理想やありたい姿の実現に向けて働くとき、最大限の力を発揮すると言われています。 有能な人材ほどこの最後の段階、自己実現を追求する傾向があると言われてきました。
自己実現は人によって異なるため、それが何であるかは人それぞれですが、自分らしく生きたい、自分にしかできないことをしたいというような欲求などがよくある例だと思います。
しかし、マズローはさらにその上の段階、第6段階の存在を唱えています。 その第6の段階とは、図にもある「超越的な自己実現の欲求」です。
これは、社会課題を解決したいなど、社会貢献的な活動を例としてあげることができます。それまでの欲求が、自分中心だったことに対し、この欲求は利他、すなわち外部の幸せを願う欲求です。 他者や社会の幸せが自らの幸せと重なることです。 自己実現を超えて、社会に貢献することでそれにより得られる喜びの共有が最終的な人間の欲求であるとマズローは言っています。
SDGsや世界の課題解決に動き出す人が増えた
そしてこの流れは現に動き始めています。Z世代と言われる若い世代を中心に、自分の力を世界や社会の課題解決に使いたいという考えを持つ人が増えています。もっとも、この6段階に至るためには、その前の段階をある程度クリアすることが必要となるため、物質的な安定性に恵まれた先進国を中心としていることは否めませんが、コロナ禍などを経て、社会のあり方や自らの働く意義、生きる意味を見つめ直した人が増えたからではないかとも考えられます。
しかしその一方、これは人間の根源的な欲求ではないかとも考えられます。世界の貧しい地域などでは、その貧しい中でもさらに貧しい人を助ける文化があったり、自らの経済的な損失をも顧みず、社会貢献を行う人もいます。その線引きは、自分のことだけを考えるか、他人や社会のことを考えるかどうか。精神的な余裕というか、人間的な優しさというか、人間の器というべきものかもしれません。マズローが言うような下位の段階が満たされなくても起こるものとも言えます。
米国では、前述したGAFAを去った人材も、社会課題や環境課題を解決する企業へ向かい、自分の力をより世界のため社会のため、人のために利用したいと考えている人が増えているといいます。消費者にどう購入させるか、どう操作するかということに自分の力を使うよりも、より公共的な幅広い概念での人々の幸福の意義を探し始めているとも言えます。
人材の潜在能力を最大化するには
このような流れは、世界や社会の動きに敏感な人から始まります。しかし、時間が経てば、より多くの人に広がっていくでしょう。日本で言えば、高度経済成長期、公害が社会問題となっていたことを思い出せば、今それが正しいという人はほとんどいないでしょう。 公害を生み出すような企業に勤めたいと思う人はいないでしょう。 多くの人が、公害は間違っていると声を上げ、おかしいと闘ってくれたことで今があります。そして世間の人々の意識が変化していきました。
今、静かではありますが変化が始まっています。これからの時代、あまり本質的な意義がないと感じる分野には、有能な人材は向かわないでしょう。物質的な豊かさを超え、精神的な価値をより見出すことに力を注ぐでしょう。
米ギャロップ社によれば、日本で企業に勤め情熱を持って仕事に取り組んでいる人は6%とのことですが、世界的に見ても米国31%と比較的高いですが、ヨーロッパ諸国は13%程度なのでそれほど大差はありません。多くの人が力をセーブし、この労働市場に折り合いをつけているのです。自分の力を最大限発揮する場とは考えていないのです。自らの潜在能力を仕事で活用しようとは考えていません。それはうまくこなしてやりすごす生活の場です。
日本で言えば、物資的な問題解決は多くが、これまでの先人の努力で解決されました。しかし精神的な欲求達成は欠乏しているとも言えるかもしれません。賃上げは重要ですが、それでは社員の潜在能力を開花させることはできません。
もっと大義や意味、そしてつながりが求められています。そして大きな公共的な意義と理念を持ち、社員がそれに共感し、共有し、会社が正しく貢献に報い、それに一致団結し向かう時、潜在能力が開花し、事業創造性と課題解決力が飛躍的に増すのです。これは日本人の滅私奉公のメンタリティと繋がります。自分のために何らかの犠牲を払ってくれる会社には報わないではいられません。そこではフリーライダー(ただ乗り)を考えるような人材は自然に排除されます。
そうでない会社では、これを働く人の心にまでもたらすことは容易ではありません。しかし、今その仕事があるのは意味があるからであり、その原点から見つめ直すことで大きな変革をもたらします。そのような企業は珍しくありません。そして社員が潜在能力を開花させた企業は、等しく活力と競争力を獲得しているのです。
容易ではありませんが、道は確実にあります。